VOL.02 六義園編

文京区本駒込というロケーションで三百年間、三万坪近い日本庭園が生き続けている。

明治維新、関東大震災、 第二次世界大戦、バブル・・あらゆる異変を切り抜けながら。しかもそれは、かつて徳川綱吉が五十数回もおとずれたほどの名園なのだ。 奇跡の庭・六義園。もうそれだけで期待感を盛り上げる古びたレンガ塀に沿って歩き、入り口を入ると、そこ はいきなり木々の世界だ。春であれば圧倒的な新緑の、秋であれば一面の紅葉の。
内庭大門をくぐり、名物の大 枝垂桜に迎えられ、さらに進むといくつもの島を浮かべた広大な池にでる。 1696年に綱吉から土地を拝領した柳沢吉保が、川を引き込むところから始めて実に七年の歳月をかけ完成させた 力作。その吉保が綱吉らと共に見たのと同じ風景をいま、僕らも、と思うと、心身ともにタイムスリップしてし まう。
さて、ぼくはここをおとずれるといつも、園内一高い築山・標高35メートルの藤代峠のてっぺんでリラックスする。そして庭を俯瞰しながら想う。日本史の教科書に出てくる柳沢吉保は元祖・ワイロ政治家。でも彼はその ワイロを投じて、これだけの庭という文化を残したのだ。また、明治維新後ここを買い取り別 邸としたのは政商、 三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎。けれども彼は昭和13年、当時の東京市にすべてを寄贈。この年より六義園は一 般公開されることになった。そしていま、この庭は景観上の危機にさらされている。本郷通 り側の塀に隣接して 不揃いな外観をもつマンションがぎっしり立ち並び、不忍通 り側もそろそろヤバイ。名のある実力者のもとで美を保ってきた名園が、顔の見えない行政のせいでけがされていく現実。そんなことまで含めて、この場所は多く のものをみせてくれる。 (今津 甲)
 
 

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