私は旅行が好きだ。



 近くでも遠くでも、日帰りでも、はたまた、電車で近くの街にでかけるのも、 そして近所を散歩するのも含め、自分がうろうろとしている状態(=旅行)がとっても好きなのである。
 もともとじっとしていることができないはつかねずみ系ではあるのだが、 それに加え、新しいモノ、新しい場所、新しい行動が好きという性格からか、 見知らぬ場所へ移動することになんの抵抗も感じない。
その最たるものとして一人旅がある。



 海外への一人旅を始めるようになったのは、10年ちょっと前から。



 フリーで仕事をしていた当時の私は、休みの日程がぎりぎりまで決められないということと、友人と休みを合わせることが出来なかったというのが理由で、でも旅への気持ちを押さえることができず、とにかく一人で出かけてしまった。
行き先はフィジー。
 飛行機のチケットを取ってくれた旅行会社の人が、私の知らない間に、共通の知りあいに「日高さんなにかあったんですか? 一人で大丈夫ですか? 自殺なんかしないでしょうねぇ」と心配していたらしい。
 後から聞いたことだけれど、その頃はまだ女性の一人旅というものは今ほど一般 的ではなかったのか、それとも私が何か背負っているように見えたのか?(まあ、行き先がフィジーだったことも心配の原因だったのかも。というのは、行ってみて気付いたことだが、周りの日本人旅行者の98%はハネムーンか、カップルの旅行者だったから.....。)
 本人はそんなことはつゆしらず、いたってのんきに南の島に行ってきます、と出かけたのだ。



 それで充分楽しんでしまった私はこの旅をきっかけに、
 
それからの海外旅行の大半を結局どんどん一人で出かけるようになってしまった。



 スケジュール調整も自分だけ。飛行機や宿の手配も自分だけ。 そうすれば、2週間前に決めたって出かけることができるのだから。
とにかく私の旅のスタイルは、できるだけ、思い立った日からなるべく早く出発する。 荷物も出来るだけ少なく、必要不可欠のもの、入手不可能なものだけバッグに詰めて持っていく、というかなり自分勝手なものなのだ。
 一人旅を始めた頃は、海外にも友人は少なかったので、とにかく一人で、どこにでも行った。 街を歩くのも、ビーチでボーッとするのも、食事するのも、お酒飲むのも、美術館を巡るのも一人。
そのこと自体私にはそれほど苦痛ではない。
却って、一見年齢不詳の(かつ小さな)私がひとりでうろうろしていると、現地の人々が興味を持って話しかけてきて、友達になったりすることもある。
それにホテルの人々も一人 で寂しいだろうからと、通りすがりになんだかんだと話しかけてくれ、仲良くなれたりもする。
ただ、一つだけ一人でいるときに残念なのは、楽しいこと悲しいこと驚いたことなどの瞬時の新鮮な感動をすぐに 誰かに伝えられない、ということがある。そういう感動って、帰ってきてから話してもダメなのだ。
だからおしゃべりな私のサバイバル法としては、とにかく周りの人に話しかけてみる。



本当に見事に誰もいない浜辺。
モハメドさんの言葉も頷ける......。




 あるとき、シアトルの大きな水族館で、
 
巨大なサメが目の前の水槽の中を泳ぎ去った時、
 あまりの大きさに感動し、思わずすぐそばにいた外国人の小さな男の子に話しかけてしまった。



 彼も「そうだねぇ」と応えてくれたので、嬉しかった。
それとか電車での移動のときにも近くの人に話しかける努力をしてみる。
 コミュニケーションの力というものは、人それぞれだけど、私にとってのこの「能力」は、どう考えても神様が唯一私に与えてくれたものだと感謝している。
もちろん、日本語または英語でのみのコミュニケーションがメインと はなるが、いざとなれば、知らない言葉でもジェスチャーとかでコミュニケーションがはかれるものだということに気がついた。


 そんな時、旅先で出会う大抵の日本人(特に若い旅行者)というのは、とても同じ国の人とは思えないほど冷たい。
もちろん知らない人だし、自分には連れがいるのよ、みたいな気分はわかるけれど、お互い言葉が違う国にいて、コミュニケーションだってままならないだろうに、少しくらい微笑んでくれたっていいんじゃない、なんてつい文句もいいたくなる。
その点、年齢がある程度いった人々、それも個人旅行の人々は、親しみやすい。
日本人風の顔を見つけると話しかけてくる。
それは、決してうっとうしいものではなく、山登りの行き帰りにすれ違う人と「こんにちは」「がんばって」「お先に」なんて声をかけあうあの人間的な優しい気分に似ている。
個人旅行の人と限定したのは、もちろん皆さんも遭遇したことがあるかもしれないが、海外で出くわす日本人の年配者の団体旅行(特におばさまがた)ほど恐ろしいものはない。



ホテルの前は遠浅になっていて、
ずっとじゃぶじゃぶと珊瑚と岩の中を歩いていけま す。
この写真は、50Mくらい沖に向かって海を歩いて、
振り返って陸側を撮ったも のです。




 この間、ベルギーからパリへ電車で移動したとき、
 ホームの表示がいまいち判らなくてホームの中ほどでボーッとしていた私の耳に、
 少しずつ大きく響いてくるガヤガヤした声はまさしく日本語。




 見ると大きな荷物を持った20名くらいのおばさま軍団が大きな声でホームをぞろぞろと歩いてくる。周りにいる人々は皆よけるように彼女らをやり過ごしていた。
 そんな中目指す電車が入ってきた。
ベルギーのホームには、何号車乗車口なんて親切な表示はない。
かつ客車の号数も順番になっていなかった。
そんな中ホームに立つ乗客たちはだいたいの見当をつけ、入線する客車の番号を見ながら、ホームを移動していくのだ。
例の日本人の年配客の団体は、電車が止まるやいなや、先に乗ろうとする乗客を押しのけ、大きなスーツケースをワイワイいいながら乗せ、乗ったら乗ったで通 路の真ん中にスーツケースを置き、大きな声で私は何番の席だ、とか、あなたはここだとか、周りの人々にも構わずものすごい騒ぎだ。
旅の恥はなんとかとはいうけれども、常識的には、ひとまず適当な席に座り、人々に通 路を空けてあげればいいのに、第一、スーツケースは客車と客車の間に荷物用の棚があるからそこにおけば迷惑にもならないのだ。
見かねた私は、つい、「後ろの人を通したほうがいいですよ」と負けずに日本語で大きな声をかけてみたが、彼らの耳には全く聞こえなかったようだ。
もちろんこういうシーンは山手線においても見受けられるけれど。ああいうおばさまにだけはならないように心掛けたいものだ。



このような船にのってフィッシングツアーにでかけました。
「アメリカ人×オ−ストラ リア人×日本人(つまり私)つり対決!」
私は、珊瑚しか釣れなかった。




 さて、話を最初の一人旅に戻そう。



 いろいろなことを経験できた初めての一人旅だったが、実は一番印象に残っているのは、フィジーの空港からホテルまでの約1時間半のタクシーだ。
  出発前、成田のカウンターで係員に「このツアーは、現地の空港からホテルまでの送迎は入っていませんので、各自ホテルに行って下さい」と申し渡された私は、飛行機の中で、私ってツアーの一員なわけ?という根本 的な疑問とともにどんよりとした不安と格闘していた。
どうやってホテルまでいけばいいのだろうか。地図ももってないし....。
そんな不安の中、到着したフィジーの玄関ナンディ国際空港は、とにかく非常に小さな空港だ。
その小ささを例えれば、個人で飛行機を所有している人の飛行機置場みたいなものだった(失礼!)。街 まで行くローカルバスも1時間半に1本。かつ今出たばかりとか。カフェのひとつもない空港で待つのもいやだし、思いきってタクシーに乗ることにした。



 空港の係員の証明書を着けた大きな黒人の人が、タクシーはここだ、と
 私の荷物を取り上げ、先に促されるまま歩いていくと、
 細身のインド系の男の人が私の荷物を持って
にっこりしている。



 空港の係員に「彼がタクシーの人ですか?」と確認したうえで、とにかくその人のそばまで行くと、そこには、とても古い、というかボロボロのセダンが止まっていた。
タクシーのサインはおろか、料金メーターも着いていない。
彼は、さっさと私の荷物を後部座席に乗せ、私のために助手席のドアを空けてくれている。
「助手席?!?」
 この後何度も海外のタクシーの助手席経験をすることになったけれど、この最初のフィジーの時はとにかくものすごく緊張した。
だって、ちょっと身を乗り出せば、すぐに襲われてしまうくらい近くに見知らぬ 運転手がいるわけだから。
それこそ、覚悟を決めて車に乗り込んだ私は、とにかく、なぜタクシーのサインがないのか、ということと、なぜ料金メーターがないのかと聞いてみた。
 彼の答えはすごく全うなもので、ポケットから出したライセンスを私に見せ、「これは空港と街を行くだけのタクシーで、普通 に街を流したりは出来ない特別のライセンスなので、タクシーというサインは着けないんだ。そして料金は法律で決められていて、一律なんだ」と印刷された料金表をも見せてくれた。
とりあえず納得し、うなずくと、車は出発したが、この数秒間に、さまざまな思いが頭を巡っていた。



 大げさかもしれないけど、ある意味、私は「死」を覚悟したし、
 運を天に任したようなものだった。




 とにかく何かおきたら出来るだけのことはしようと腹をくくるしかなかった。
そんな私の不安と覚悟を全く知らない彼は、「モハメドといいます。インドの人の半分はモハメドという名前です。」と自己紹介し、私の宿泊するホテルまでの約1時間半の山越えの道のりを、青空の下、のんびりと車を走らせてくれる。
行き交う車もほとんどなく、まわりは山や緑や、さとうきび畑。
モハメドさんは一人旅の私が珍しいからか、いろいろな質問を浴せ掛けてくる。
それこそ「なぜひとりなのか」「彼はいるのか」「結婚しているのか」などといったストレートなものだ。
彼はかねがね日本人の女性と結婚したいと考えていたようで、そして私に目を向け、「フィジーは食べ物もおいしいし、天気はいいし、人々は優しいし、とても住みやすいところだ。」と強力な宣伝を始めだした。慌てた私は「結婚しているけれど、彼は仕事があってこれなかったので一人で来た。」と嘘をついた。
それでも前向きなモハメドさんは「それではあなたの友達を紹介してほしい。」と自分の自宅の電話番号を書き、「友達がフィジーに来ることがあったら必ず電話してほしい。」とにこにこ顔だ。
その一連の会話の間も車は山あいを抜けていく。
 あるとき、ふいにモハメドさんが路肩に車を止めたので、和んでいた空気もちょっと冷め、身を強ばらせたら、「サトウキビはたべたことあるか」と私に聞き、いいえ、って首を振ると、さっそうと車をおり、そばのサトウキビ畑で働くおっちゃんに声をかけ、なたで2本ほどサトウキビを切ってもらって帰ってきた。
「はい。こうやって食べるんだよ」と私に食べ方を教え、もう一本を渡してくれた。
私もいきなり生で食べて平気かしらと思いながらも、何事も経験だ、とえーいと食べてみると、本当に甘くてジューシーでおいしい。
ちょっと繊維質が多くて飲み込むと消化には良くなさそうだったから、チューチューと子供のように甘味を吸い取っていたら、モハメドさんも満足げな顔。
再び車内に和やかな雰囲気が帰ってきた。



生れてはじめて自然の海でみたヒトデ!
とっても青くてきれいだった。
ヒトの手というよりヒトみたいな形、
しかもちょっと首をかしげているところが可愛かったので....。




 そうしているうちにようやく目指すホテルが前方に小さく見えてきた。



 モハメドさんの人なつこい語り口や笑顔にすっかり安心していた私は、さらに安堵感を強め、人間やっぱり疑ってかかっちゃいけないんだと先程の悲壮なまでの覚悟をふきとばそうとしたら.....。「キュッ!」
いきなりモハメドさんが車を止めたのだ。ああ、あとひとつカーブを曲がればホテルの入り口のはずなのに。
ああこんなヤシの木のおい茂った場所で私はどうなるのか。
おそるおそるモハメドさんの顔を見ると、彼は先程までの笑顔とかうってかわって怖い程シリアスな表情だ。
そしてこんなことを言った。
「フィジーはいい国だし、きっとあなたも気に入るだろうから、また是非訪れて欲しい。その時は必ず独身の友達を連れてきてください(あくまで本気なのである)。それから、ホテルにはプライベートビーチがあるから、そこで泳ぐようにしなさい。もしプライベートビーチを離れたら、きっとすぐにレイプされてしまうし、ヤシの木の間に連れ込まれたら誰もわからないから助けもいないし、気をつけて。」


 今こう書くと、幼く見える私にアドバイスまでくれて親切な人だね、と感じる人も多いと思うけれど、少し想像してみて欲しい。
慣れない外国で、ひとつの車の中、変速シフトをはさんで数10センチしか離れていない場所にいる、ほとんど見知らぬ 外国人の男の人の口から「レイプ」という言葉を聞くことが、こんなにも怖いことなのだと。
かつ周りは彼の言葉通りヤシの木が鬱蒼としているのだから。
実際、これを聞いて私は、到着するまでの最後の数分は生きた心地はしなかった。やっぱり大げさだったかもしれないけれど。



フィジーの本島「ビチレブ」全体図。モハメドさんが私にくれた地図です。
むかって左上の飛行機マークのところ「Nadiナンディ」からタクシーにのり、逆 L字型に南下し、ホテルのある街へ。
よくみたら、道路の数の少ないこと。かつ
スレ違う車なんて一台くらいしかなかった(それも古いTOYOTA)。




 さて、無事ホテルに着いた私は、ツアーの現地係員
 (そんな人がいることも知らなかったのに)
にすっかり怒られたのだった。



 なぜなら、私ひとりが空港で行方不明で、他の参加者は、みんなツアー会社が用意したバスに乗ってホテルまで連れてきてもらっていたのだ。
私は、成田で一人で行きなさいと言われたことをきちんと説明し、彼も半分は納得したようだったが、どうも最後の日まで、迷惑を掛ける変な一人旅の女のという印象はぬ ぐえなかったようだ。
確かにそうかもしれないけど。



 このタクシーの経験はその後の私にいろいろな影響を与えてくれている。



もちろん一つは、いつでも気を付ける気持ちは忘れないようにということだが、でも私の中では、ここで一度死ぬ 気になったのだから、あとはもう怖いものなんてないやという、全く相反する考え方も強い。
きっと天が、私に何かを経験させようとして授けてくれた特別の1時間半。
さて、その大切な経験とは、どっちの考え方のことなのだろう。