# チュニジア大縦断の旅





▲チュニジアのレストランでいた
だいたワイン。
とってもおいしかった!

▲カルタゴにある国立美術館の外
観。これだけでも見た価値があり!
美術館の庭には、 掘り出された
遺跡がごろごろしていた。 

▲自称ツアーガイドのおじちゃんと
パチリ。にこやかなふたりに見える
が、私の腕に回した彼の手はとって
も力が入っていて、結構びっくり。


▲もしかしてもしかして何かの条約
に違反したかも......。
でも遺跡の規模がわかるでしょ?

▲イスラム語で書かれた入場券。
美術館や遺跡は全て共通のチケッ
トを使っていました。
昔日本でも電車の車掌さんがもっ
ていたはさみのようなもので、パ
チンと穴をあけてくれました。

▲大都会といえるチュニス。ここ
が駅です。フランス語とイスラム
語と英語とで駅名が。文化の交流
地点って感じがしました。

▲さ、これからチュニジア縦断の
旅のはじまりです。
この特急電車に乗って、目指すは、
ビーチリゾート、スース(Sousse)!
伊版Mr.ビーンにすっかりだまされ、15万リラをきっちり取られ、降り際にキスされ
そうになっても懲りない私は、まだまだ旅を続けるのだ。

地中海を眼下に眺め、到着した土地は、北アフリカの小さな国、チュニジアの首都、
チュニスだ。空港で出迎えるアラブ系の人々の中に、ぽこっと友の顔を見つけた。 
「ほんとに来ちゃった」という気恥ずかしさが今になって押し寄せる。今回は、友
にすっかり任せての旅。友は仕事を休んで私につきあってくれるのだ。さっそく外
に出ると、お昼の太陽の熱い日差しが照り付ける中、タクシーがたくさん止まって
いる。 
アラブ語とアラブなまりのフランス語があふれる中、友は、一台ずつ値段交渉して
からよさそうな一台を決めていた。来る途中のイタリアでもそうだったけど、全く
言葉が通じない国にいると、本当に自分は遠いところから来たんだな、って感じる。
疎外感というのではなく、なんか透明人間の言葉バージョンみたいなもの。例えば、
日本語で、友と、すぐ隣に座っている見知らぬアラブ人の話しをしていても全く気
が付かれないし、もちろん相手が私のことを宇宙人だ、と話していても判らないわ
けで、面白い。よく東京の電車の中で、外国の人が大きな声で自国の言葉で話して
いるのを思い出し、あれもそんな面白さを味わっているのかな、と思ったりもした。

さてタクシーに乗り込んで向かうのは、地中海沿岸の美しい街、シティ・ブ・サイ
ド。道を縁取る鮮やかな緑、咲き誇るピンクや赤の花。そしてどこもかしこも真っ
白な建物にブルーの窓枠。地中海の水の色から取ったというそのブルーは、そのま
ま空の色と同じだ。ここは条例で、建物が昔のまま保存されているらしい。地中海
文化の伝統的な観光地なのである。石畳の道の両側を、原色の色鮮やかなキリム
(絨緞)、色とりどりのアラビアン模様が描かれたお皿、剣、兵士の人形などを売
っている小さなお店が並ぶ。あまりに美しいキリムを見て、初日からいきなり購買
意欲がわきあがった私に、友は「ここは観光地だから少し高いかもよ」とすかさず
アドバイス。



 石畳の階段を上り、地中海を眺める絶好の場所にある喫茶店「カフェナット」
(オープンカフェというかんじ)に到着。このカフェは世界最古ということで有名
で、かなりにぎわっていた。この地では、ミントティがおいしいらしい。それも日
本のらくがんに似た甘いお菓子付き。ミントティは、小さなグラスに、ミントの葉
がたくさん入ったあったかい紅茶。甘いけど、さっぱりした飲み物だった。これか
ら何度もお世話になるこの飲み物も、お店によって甘味の具合や、紅茶の濃さや、
ミントの葉の量などが違っていて、きっと、それぞれの家庭でそれぞれの味を作っ
ているんだろうな、と感じた(何日か後、サハラ砂漠に近いところで飲んだミント
テイには、グラスにたっぷりミントの葉が詰まっていて、紅茶の色というより、ミ
ントの葉の色をしていた)。日本でいうところのおみそ汁みたいなものかしら。

普段の私だったら、とにかく「まずビール」みたいな気分になるのだが、ここはイ
スラム教の国、昼間からビールを飲んでるような女性は皆無なのだ。こういうこと
はアメリカや、イギリスなどでもたまにある。ただしあちらは宗教からみではなく、
販売免許の問題。アルコールを販売するライセンスを取るのが厳しいので、店には
アルコールは置いていないところが多い。持込みは可能なのだが。ただし、外では、
むきだしのままビールなどを持ち歩いてはいけないので、必ずボトルを隠さなけれ
ばいけない。よく映画で、バーボンなどを紙袋でくちゃっと持っている渋い男がい
るけれども、そういうわけなのだ。こういうことを経験してみると、日本はそのへ
んおおらかだな。昼間だろうが、カフェだろうが、ビールやワインが置いてあるし、
女性が飲んでいたって、別に大丈夫なのだから
(そのせいで私の酒量が増えている?)。

今日の宿「Hotel  Alyssa Didon」は、シティ・ブ・サイドからカルタゴ方面に向
かったちょっと小高い丘の上にある、豪華なホテルだった。豪華といっても宿泊料
金は、日本円でいうと、二千円くらいだったような気がする。部屋の窓からは地中
海が一望できる。ホントに全くブルーなのだな。オフシーズンなのか、あまり他に
泊まり客は見当たらない。ものすごく得した気分になる。時差ぼけと旅の疲れもあ
って早めに寝た私は、すっかり朝早くに目がさめ、美しい朝焼けも堪能できた。
うっすらとかすみがかかったような中から、朝日が登ってくる。地中海の向こう側
に山並みが見える。たった二日前には東京にいたのに、本当に遠いところまで来た
んだな、と改めて思いがわきおこる。今回の旅は本当に急に思い立って計画した。
それも、友の赴任期間があと数カ月で終わるという手紙を読んで決めたのだ。手紙
とファクスと電話のやりとりで、日程を決め、あとはリュックに荷物を詰め込んで
やってきた。全く見知らぬ土地で、気心の知れた友人とともに過す、そのことが、
私の中のモヤモヤを解消するかのように感じていたのだ。



 その日も青い空が広がった。ホテルに荷物を預けて、歩いて、小高い丘の上にあ
る国立カルタージュ美術館に向かう。カルタージュ。カルタゴ文明の発祥地だ。
ローマ帝国華やかなころ、カルタゴをわがものにしようとローマ軍は虎視眈々とカ
ルタゴを狙っていた。カルタゴ軍の将軍、ハンニバルは、奇戦を労した。彼は、象
の大群を率いて、今のスペインからヨーロッパ大陸へ渡り、なんとアルプスを越え
て(象も一緒だよ、もちろん)ローマ軍を挟み撃ちしたのだ(それにしても、何故
象を選んだのか...)。その戦術のおかげで勝利をものにしたカルタゴ軍はしばら
くの間勢力を保っていた、という。美術館の中には、そんな紀元前の戦いの話しや、
フェニキア人の描いた絵文字などが、イスラム模様のきれいなタイル細工の建物の
中にぎっしり展示さ れていた。この美術館には、入口近くにお客さんの振りをして
うろうろしている、自称美術館ツアーガイドのおじちゃんがいた。おじちゃんは、
にこにこと近寄ってきて、安くガイドをしてあげようか、と私たちに話しかけてき
た。面白いから頼んでみよう、と一緒に館内を歩きだした。おじちゃんは、なんだ
かんだと自分の気に入った展示物のみ説明をしてくれる。私が自分で気に入ったも
のを見ていても、「こっち、こっち」と腕をひっぱり自分の好きな作品を見せよう
とする。が、もちろん違法なので、美術館の人が座っている場所では、ふらーっと
遠くに離れてしまう。途中で、友が面白がって、おじちゃんと私の写真を撮ったと
きには、おじちゃんはしっかりと私の肩に手を廻し、後でその写真を見ると、まる
で私たちは仲の良い親子のようだった。最初はちょっと警戒していた私も愛想のい
い笑顔と、その立ち居振る舞いにだんだんと気持ちがほぐれてきた。彼の中で一回
のツアーは約30分と決めてあるようで、最後の方はだんだんと急ぎ足。彼の頭に
あるコースの中で一番最後の部屋になったとき、いきなりツアーガイドは終わった。
おじちゃんはにこにことお金を請求してさよならも言わずどこかに立ち去っていっ
た。あまりのそっけなさになんだか、友と二人で笑ってしまった。きっと毎日そう
やって稼いでいて、きっと美術館の人も大目にみているのであろう。後で、チュニ
ジアのガイドブックを眺めていたら、4、5年前発行のそのガイドブックの美術館
の写真にも、やっぱり彼は写っていた。なんか遠くに住んでいる友人のような気が
してしまった。


 カルタゴにはまた、アントニウスの大浴場の跡というローマ時代の遺跡があって、
そこは遺跡(大きな石)がごろごろしていて(・・・っていうのはへんか)登った
りもできる(というか私は登った)。大浴場(沐浴場)はとっても豪華な建物だっ
たらしく、入り口からいくつもの部屋や庭をやりすごし、一段下のあちこちに浴場
の跡があり、その周りに廊下や、休憩所のような部屋が散らばっている
(想像だけど)。どこも地中海を眺めながらのお風呂だったらしい。アントニウス
さんたちはそんな暮らしをしていたんだねぇ、と感心。紀元前何年かの建物がこん
な形で現存するなんて、それだけでもおどろき。日本みたいに古くていい建物もす
ーぐ壊してしまうお国柄とはわけがちがうのだ。

 カルタゴにはヨーロッパからの観光客も多く、中でも、ドイツ人が一番多いらし
い。質実剛健な彼等にとってチュニジアは値段も手ごろでかつリゾートとしても楽
しめる土地だということなのだ。よく、海外にいくと、日本人はみんなカメラを持
って写真ばっかとって、実際の景色を見ていないと言う声を耳にするが、日本人だ
けではないのだ。ドイツの人も、その他よくわからない白人の人達もみんな写真撮
るのに夢中だった。みんな同じなのだ。



 さて美しき古き街カルタージュから、電車にのって、首都チュニスへと向かう。
いつも感じるのだが、海外の電車は、本当に色合いがきれいだ。日本の電車と違っ
て、街や、人々の生活感と調和した色合が車体に施されている。このとき乗った電
車も、淡いブルー系の色合いのとてもきれいな車体だった。二、三両編成だったと
思うが、先頭だけは、一等車両だ。とはいえそんなに運賃も高くないので、友と一
等車両に乗車してみた。まわりの人々に好奇の目でみられる中、なんだか、とても
裕福な気分になった。一等車両には、そんなに人が乗車していなくて、窓際の席に
ふたりゆったりと座れた。見るととなりの二等車両は、混み混み。ズルして二等か
ら一等へと移ってこられないようになのか、通路は通り抜けできないようになって
いた。

 チュニスの街は、一見して都会とわかる。歩いている人の速度が違う。東京や、
ニューヨークなど大体の都会がそうであるように、人々は足早に、つまらなさそう
な顔で歩いている。イスラム圏とはいえ、チュニスの女性たちは、膝上くらいのミ
ニスカートや、襟ぐりの大きく開いた洋服を着て、メイクアップも派手にしていた。
これじゃ、男の人たちも誘惑されてしまうだろうに、となんだかかわいそうになっ
てしまった。だってイスラム教では、結婚前の男女がいちゃいちゃしてたり、二人
きりで会ったりしちゃいけないんだって(都会にいくほどその戒律は守られていな
いらしい)。 
ああ、きびしい。そういえば、チュニジアでは、男の人は家を一軒建てるまでは結
婚できないらしい。もちろん日本に比べてお金はかからないだろうし、家もレンガ
のような石を積み上げて作るとても素朴なものだ。とはいえ、家一軒くらい建てら
れる甲斐性がないと、一人前の男として認められないってことなのかも。あー、日
本男児として生まれてよかった、と胸をなで下ろしてませんか?

 チュニジアに入国して、まだ二日。ここから、チュニジアを海沿いに南下し、
ゴージャスなリゾート地スースへと出発である。いよいよ、日本の本州の約4分3
くらいの国土面積を持つチュニジア大縦断の旅の本格的なスタートだ。